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プログラミング言語は山ほどあるが、最近は開発者の逝去を徐々に聞くようになった。また1つの巨星が去った。
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自分は学生の頃に必要があってちょっと学んだことがある程度だ。
プログラミング言語、Pascalは文法的には一世を風靡したBASICに似ているが、科学計算向けといわれた。
当時はC言語が徐々に勢力伸ばしつつあるが、まだC++は出てきていない。Perl、PHP、Pythonといったインタプリタ式の言語はコンピュート性能が足りないことからはやっていない、コンパイルが主流の時代だ。
今なお金融機関のメインフレームで使われているという、COBOLはすでに主流ではなくて、FORTRANも時代遅れという感があった頃。LISPがAIに関係するともてはやされていたかな。
そんな中でPascalをやらねばならなかったのは単なる偶然で、1年やってその後は触ることもなかった。時代はC言語になっていた。
訃報は、Pascalを開発したNiklaus Wirth氏で、元日に亡くなったそうだ。
氏の経歴を引用する。
ヴィルト氏は1963年にカリフォルニア大学バークレー校で情報工学の博士号を取得。その後、スタンフォード大学やチューリッヒ大学で助教授を務めながら1965年にEuler」、1966年に「PL360」という2種類のプログラミング言語を開発しました。そして、1970年には教育用プログラミング言語として「Pascal」を発表しました。
Pascalは当時としては分かりやすくシンプルなプログラミング言語として歓迎されました。
ヴィルト氏はPascalを発表した後も「Modula」や「Oberon」といったプログラミング言語を開発し続け、1984年には計算機科学分野において多大な功績を残した人物に贈られるチューリング賞を受賞しました。また、ヴィルト氏が残した「ソフトウェアは、ハードウェアの高速化よりも急速に低速化する」という格言は「ヴィルトの法則」として広く知れ渡っています。
C言語が全盛になる前はアセンブラでCPUがわかる機械語を直接コーディングすることが最速のプログラムを作ることができ、それを使うことが最少リソースで最大の効果を得られた。
しかし時代はソフトウェアの再利用という局面に移りつつあった。
プログラムを1回書いたら終わり、ということがなくなり、既存のプログラムを再利用してどんどん巨大化へと向かった。
ちょうどPCのパーツを組み合わせてPCができるように、プログラムもパーツを組み合わせて作る労力を減らすことに注意が向けられていった。
そのおかげでヴィルトの法則でいわれる、ソフトウェアの低速化、つまりアルゴリズムを考えてその目的に最適なプログラムを作るのではなく、できるだけ汎用に、再利用できるように作るようになっていった。その裏付けとしてハードウェアの高速化があったのは言うまでもない。
今ではとりあえずプログラムを書けば、よほど時間がかかるアルゴリズムであってもコンパイラが最適化してくれる、という。インタプリタ言語ではそれをどこまでやってくれるのかわからないが。
理化学研究所計算科学研究センターのセンター長を務める松岡聡氏はX(旧Twitter)に「ヴィルト氏の研究によって、機械語から現代的なプログラミング言語への発展が成された」と投稿し、ヴィルト氏の功績をたたえています。
Pascalのような言語によってプログラマが専門職の職人、というカテゴリから、専門職ではあっても募集すれば育てていけるようになった。
ごく一部のアセンブラを使えるプログラマからC言語、そしてPythonでAIを手軽に扱うことができるようになった。ヴィルト氏の功績は測りしえない。
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